保護者の皆さんは、子どもの頃、学ぶことが好きでしたか。「嫌いだったなぁ。」と答える人が多いのではないでしょうか。私も実はそんな一人で、「勉強は楽しくなかった。勉強は面倒くさくて苦しいものだった。」そんなふり返り方をしてしまいます。
でも、本当に学ぶことが嫌いだったのでしょうか。私は、学びたいという気持ちがなかったのでしょうか。
「勉強がいやだなぁ。」と思い始めたのは、中学生の時。分からないことが増えていって、その分からないがいつまでも解決させなかったから。分からないことが重なって、分からないことがどんどん増えていく気がしたから。とにかく、「なぜ」が解決されず、すっきりしなかった毎日を送ることで、私は学ぶ意欲をだんだんなくしていったように思います。
でも、中学1年生の、オッペルと象の授業ははっきり覚えているのです。オッペルの心情を問う問題でした。それを考えたとき、私と、もう一人の女の子だけが同じ意見で、他の全員は私たち二人とちがう考えだったんです。そして、孤独な二人VSクラスのみんなが戦いをして、最後はみんなを説得できたという授業でした。考えを話すことが楽しくて、みんなを納得させるような考えを作っていくことが楽しくて、私はあのとき、学ぶことが楽しくて楽しくて、たまらなかったのです。しかし、その後、その授業を超えるようなわくわくと出会う授業はありませんでした。
当時の先生方が悪いというわけではありません。私の学ぶ態度や気持ちもいけなかったと思います。でも、学びたいという意欲は、先生の出す問題、先生の問題の出し方で大きく変わると、わたしは生意気にも中学生の時からずっと思っているのは確かです。「こんなふうに、問題を出してくれたら、もっと楽しく、わくわくするのになぁ。」そんな生意気なことを考えていた記憶もあります。
また、もっと自分の「分からない。」に手をさしのべてくれたらと思うこともあったのです。「ぼくの分からないに、先生、気づいてくれよ。」と思っていました。当時は思春期で、分からないことがみんなに知られるということにも抵抗があったりして、自分から先生のところに行くなんてこと、なかなかできなくて。それをしない自分も悪いんだけど、「先生だって、気づいてくれてもいいだろ。」というへんな怒りもあったのは確かです。
学ぶことが好きになるかどうかの大きな役割を担っているのが、学校の先生であることは間違いないのです。先生しだいで、子どもは学ぶことが楽しいと感じられる人になります。私は、子どもたちに、あの「オッペルと象」で味わった学びのわくわくを味わわせたいと思っています。また、学びの迷子になっている子のSOSを見逃さない先生になりたいと、ずっと思っています。
学ぶことは苦しいこともあります。基礎計算や漢字をマスターするためには、どうしたって繰り返し練習しなければいけません。文章を理解して読めるようになる力を伸ばすためには、「本読み」をめんどくさくても毎日やった方がいいに決まってます。文章を書く力も大切。夢奈さんのように、毎日日記を書くなんてなかなかできることではありません。そんな学びは、めんどくさかったり、苦しかったり、楽しい学びではないかもしれませんが、学びの楽しさを味わうためにはどうしたって必要です。これを乗り越えた先に味わえる、「学びの喜び」があります。
今、この子たちに味わわせておきたいのが、「学びの喜び」です。それを味わっておけば、生涯にわたって自分から学び続ける人になるでしょう。その喜びを味わえるような授業を、わたしたちは工夫して行っていきます。
同時に、基礎基本はしっかり身につけさせてあげたいです。基礎基本が身につくことによって学びの喜びは大きくなることも間違いないですから。
今、4年生、5年生の復習をプリントで行っています。それは、全国学力学習状況調査の結果からも、4年生5年生の学習がまだまだ身についていないということがはっきり分かったからです。この復習を終えた頃には、自学もできるようにしたいと思っています。やや宿題が多くなってしまうかもしれませんが、今の子どもたちにとって必要な学習ですので、御理解ください。中学生になっても学びの喜びが味わえるように、中学生になるための準備を、この半年でしていきたいと思っています。