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2013/11/17

11月16日は 親になった日

Tweet ThisSend to Facebook | by:牧之原小教務・6年担任
 11月16日は、わたしにとっては、大事な日。わたしの子ども、長男である創太が誕生した日です。つまり、先生が、「お父さん」になった記念すべき日。毎年11月16日には「ああ、この日がお父さんになった日なんだよなぁ。」としみじみとします。
 2001年11月13日の夜、奥さんが入院。出産予定日から13日もたってしまい、それでも産まれる気配がないということで、急きょ入院することになりました。心配でした。
 翌14日の夜、ゆっくりゆっくり陣痛がやってきました。とはいえ、まだまだ痛みも弱いらしく、陣痛の間隔も長かったので、先生は家に戻りました。
 15日の朝、奥さんから電話がありました。陣痛がとてもきつくなってきたと、苦しそうな声でした。すぐに病院に行きました。病室までは全力疾走、病室のドアを開けると、奥さんは、ベットの上で「ふーっふーっ。」と苦しんでいました。くちびるは白く目はうつろ。夜中から陣痛がひどくなりまったく眠れなかったそうです。陣痛の痛みは男には分かりません。私が経験したことのある痛みの中で、もっとも痛いと感じたのは、虫歯の痛みぐらいです。そんな痛みなど問題にならないくらいです。奥さんは、トイレにいくのもやっとという感じ。(これがうわさの陣痛か・・・。)陣痛は10分おきにやってきました。
 陣痛がくるたびに、背中をさすってあげました。少しではありますが、痛みが和らぐといったので、必死にさすりました。15時間、さすり続けました。15時間もさすり続けると、最後は指紋がなくなっていて、指はつるつるでした。
 陣痛はだんだんひどくなっていき、間隔も短くなっていきました。苦しむ奥さんを見ているのはつらいものです。私が不安な顔をすると、
「大丈夫だからね。がんばるからね。」
と逆に声をかけてくれました。息をするのも苦しそうでしたが、私を安心させようとしてくれました。だから私も、奥さんのそばを離れずに、ずっと背中をさすりました。
 15日の夜、ついに分娩室に入っていきました。私はさすがに疲れ果て、待合室のソファーで横になっていたら、あっという間に寝てしまいました。そんな私を起こしたのは、助産婦さんでした。
「旦那さん、旦那さん、起きてください。」
私は跳び起きました。(産まれたのかな。)と期待したのですが、そうではなく、こんなことを言いました。
「旦那さん、どうしますか。出産の瞬間に立ち会いますか。」
私はすぐに「はいっ。」とは言えませんでした。もともと妻とは話し合い、立ち会う予定でしたが、いよいよとなると怖じ気づいてしまいました。陣痛があまりにも苦しそうだったので、不安になっていたのです。
「奥さんは、立ち会ってほしいみたいですよ。旦那さん、立ち会ってあげてください。新しい命が感動する喜びを一緒に味わってください。」
私は決心してソファーから立ち上がりました。そして、分娩室に向かいました。心臓は破裂しそうでした。分娩室では、妻は分娩台の上に寝ていました。もう、汗びっしょりでした。私の姿が分かると、
「来てくれて、ありがとう。」
と言いました。私は妻の横に座り、額の汗を拭いてあげました。他にしてあげられることはありませんでした。
 分娩室の中には、かっぷくのいい助産婦さんが一人いるだけでした。もっとたくさんの人がいてくれるものだと思っていたので不安はさらに大きくなりました。時計を見たら11時。その後分娩室の中で、さらに2時間苦しみました。私はその間、汗を拭き、手を握り、不安な気持ちを忘れるために、壁にあったわけのわからない絵をずっと見ていました。
 ようやく赤ちゃんの頭が出てきました。でも、そこからが大変でした。奥さんがふんばっても、完全に頭が出てきません。助産婦さんは険しい顔になり、あわてて電話をしていました。すると、お医者さんともう一人の助産婦さんがとんできました。3人でひそひそ話をして、かっぷくのいい助産婦さんが部屋の奥から大きな機械を持ってきました。そして、機械をセットすると、助産婦さんは分娩台の上に乗りました。(えっ、何がはじまるんだ。)さらに、お医者さんはこう言いました。
「旦那さんは・・・、見ない方がいいかな・・。しばらく待合室にいてくれる。」
 分娩室から待合室に戻ると、私の母親と妹と妻の母親がいました。
「どうなのよ。」
と聞かれたので、分娩室での出来事を興奮しながら話しました。
「すごい機械が出てきてさぁ。太った助産婦さんが智佐子の上に乗って、お腹を無理矢理おすらしいよ。機械は何に使うのかなぁ。旦那さんは見ない方がいいって言うんだよ。何が始まるのかなぁ。おろおろおろおろ、おろおろおろおろ。あわあわあわあわ、あわあわあわあわ。」
何を言ってるのか分からないわたしの説明によって、説明を聞いた3人の顔も、青ざめていきました。そしてなぜか、みんながわたしのことを責め始めるのです。
「あんたが悪いのよ。あんたが大きな頭をしてるから、赤ちゃんの頭もでっかくなったのよ。だからなかなか出てこないんでしょ。どうするつもり。」
そんなこと言われても困ります。だいたいこんな大きな頭のわたしを産んだのはお母さんじゃないかと、くだらない反論をしました。待合室で頭のでかさで言い合いのけんかになり、妻の母親とわわたしの妹が二人を止めました。
 待合室に、再び助産婦さんがやってきました。
「旦那さん、すぐに来て。頭が出てきたよ。産まれるよ。」
私は100メートルを9秒でゴールできるくらいの猛ダッシュで、分娩室に駆け込みました。助産婦さんを突き飛ばし、スリッパが片方ぬげてもおかまいなしです。
 私がいない間に、あの機械を使って何をしていたのかは、赤ちゃんの頭を見て想像がつきました。機械を使って引っ張ったのです。赤ちゃんの頭は、ぬーっと伸びていました。
「もう少しだ。がんばろう。」と声をかけました。ようやく私の度胸がすわりました。苦しいのに、にこにこ笑っている妻を見て、おろおろしてたらみっともないと思いました。お医者さんが力を入れる合図をします。
「はいっ、いまーーーっ。もっとーーーー。りきんでーーーーっ。」
その言葉に合わせ妻は唇をかみながら力みます。私もいっしょに力みます。
「はいっその感じでーーー。もう1回ーーーー。はいっ、いまーーーーっ。りきんでーーーー。」妻が力みます。私も力みます。力みすぎて、私は貧血になります。                         
「旦那さんは力んでも関係ないよーーー。」
お医者さんに言われてしまいました。
 そんなことが何回か続いて、赤ちゃんの頭がどんどん出てきました。
「さぁ、しっかり、二人で見て。産まれるよーーーっ。」
赤ちゃんの顔が見えてきました。頭はたしかに伸びていますが、大丈夫。目も、鼻も、耳も、口もあります。生意気にも、眉毛まであります。
 赤ちゃんの肩が見えてきました。見えたと思ったら、後はあっという間でした。「ぬるっ。」という感じで、全身がでてきた瞬間、
「ギェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。」
赤ちゃんは火がついたように泣き出しました。赤ちゃんの泣き声、「おぎゃーっ。」を期待していたのですが、「ギェーーーーーーーーーーーーーーーッ。」でした。でも、元気な証拠、安心しました。
 こうして誕生したのが、長男の創太です。私が父親となったこの日のことは、今でも忘れられません。
 助産婦さんが言いました。
「お父さん、だっこしてみますか。」
産まれる前は、私のことを旦那さんと呼んでいたのに、それがお父さんに変わっていました。「旦那さん」から「お父さん」に変わったことが、なんとも不思議で変な感じでした。
 3000グラムの赤ちゃんを抱っこしました。ほんの3キログラムです。でも、ずしりと重たく感じました。その重さは、「この子を大事に育てなきゃ。」という親としての責任の重さでもありました。そんな私に抱かれながら、赤ちゃんは「オギャーッ。」ではなく、「ギェーーーーーーッ。」と泣いていました。
 立ち会い出産は妻の希望であり、どちらかと言えば、私はいやがっている方でした。正直なところ、怖かったのです。でも、立ち会うことができて本当に良かったと思っています。それは、つくづく命は大切だと思えたことです。私のお母さんも、こんなに苦労してわたしを産んでくれたんだな。自分の命を大事にしないといけないなと思いました。さらに、奥さんに対しても、がんばってくれてありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして、大切な命、大切な自分の子、この子を幸せにしてあげたいと思いました。
 これが、親の気持ちです。みんなも、こんな感じでこの世に誕生したんだと思います。みんなのお父さんやお母さんも、私と同じようなことを感じたはずです。いくら口うるさくなっても、みんなのことを大切に思う気持ちは少しも変わっていません。おやじくさいと言われて避けられても、本当に大事に思っています。みんなはお父さんお母さんの宝物です。時にはけんかもするだろうし、しかられて嫌だと思うときもあるだろうけど、いつも大切に思ってくれてるということは忘れてはいけません。
 私は、11月16日がくるたびに、「親として、ちゃんとできているかな。」と自分をふり返るようにもしています。ずっとそうしています。こんなことを考えることは、一生やっていきたいと思っています。
 11月16日は、親としての自分を振りかえる日、親としての責任を果たしているかを考える日でもあります。
 ちなみにうちの創太君は、親の願いもむなしく、今一番興味があることは、寝ることです。まぁ、寝る子は育つというから、いいでしょう。              
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