五年生のわたしと言葉 牧小児童の作文より
「うざい。」
わたしは友だちから言われたことがあります。なぜ言われたのか、その理由は分からなかったけど、とてもいやな気持ちになりました。「なぜ。どうして。なにかしたんだろうか。」気になって仕方なかったです。気になって、いやな気持ちは何日も続きました。いやな気持ちは消えなくて、最後は友だちに相談しました。
「わたしはそうは思わないな。そんな言葉を気にしたりその言葉で無理に合わせようとしなくていいよ。」
友だちのそんなはげましの言葉に、ようやく心がじわじわ温まり、いやな気持ちがなくなりました。
友だちの言葉でいやな思いをして、傷ついて、友だちの言葉で心が温かくなって、そんなことから言葉について考えるようになりました。
「きもい」「最悪」「最低」「ださい」「死ね」「だまれ」「ばか」これらはわたしがふだんの生活の中でいやだなと思う言葉です。もちろん、わたしが言われた「うざい」もそんな言葉の一つです。
言われてうれしくなる言葉は、ちょっとのことでもわたしのことをほめてくれたような言葉、わたしのことを認めてくれた言葉。「すごいがんばったね。」「その服かわいいね。」「字が上手だね。」こんな言葉を言われたことがあるけど、そんな時はうれしくて、心があたたかくなりました。
このように考えていくと、いくら短い言葉であっても、人を傷つけることは簡単なことなんだなと思います。「きもい」のたった三文字で、わたしはとってもいやな気持ちになりつらい時間はすぐに消えませんでした。言葉はいくら短くても人を傷つけるいやな力を持っているのなら、わたしは言葉はよく考えて使わないといけないんだなと思います。
ある日の新聞記事に、次のようなものがありました。『寒っ、すごっ、うるさっ、短い言葉でも気にしません。若者に浸透』寒いときに「今日は寒いなぁ。」と言うのを最近は「寒っ。」と言う人が増えていて、それが気にならない人は85パーセントにもなるというのです。そういうわたしも85パーセントの中の一人で、ふだんふつうに使っています。「寒っ。」という言葉を使ってしまうことは悪いことではないけど、言葉には意味があるということを考えたら、あまりよくないのかもしれません。
「寒っ。」「すごっ。」「うるさっ。」の他にも短い言葉にしてしまっていて、ついつい口から出てしまう言葉があります。「うざっ。」「きもっ。」「ださっ。」といったような言葉です。あまり意識して使っているわけでもないし、目の前の人をいやな気持ちにさせてやろうとも思っていません。ついつい口から出てしまっている言葉です。これらはただ単に短くしただけでなく、使い方によっては人を傷つけてしまう言葉です。こんな短い言葉に人の気持ちを込められるとは思えないけど、これらの言葉を受けた人は深く傷つきます。だから、わたしはこんな言葉が口からでないように変わっていきたいです。
わたしには友だちがいます。わたしは今まで、友だちに対しての言葉を意識してこなかったけど、もしかしたら、わたしが「うざい。」という言葉で傷ついたようなことが、わたしの言葉によってあったかもしれません。いくら仲のいい友だちであっても、時々「なんでこんなひどいことを言うんだろう。」と思うことがあります。でもそれは、わたしと同じで、言葉をあまり意識していないだけかもしれません。友だちとの何気ない会話の中で、いつも「相手を傷つけないように、相手がいやな思いをしないように。」と考えながら話すなんてとてもできません。それにつかれてしまうと思います。わたしがなりたいと思うのは、何気ない自然な会話の中で、友だちを傷つけたくはないということです。そのためには、「若者だから」とか「はやりだから」とか「みんながおしゃれに使っているから」という理由で言葉を使うのではなく、言葉が持っている力を意識したいです。
言葉には、いくら短くても人を傷つけるいやな力があります。同時に、言葉にはいくら短くても友だちを元気づけることができる、人を幸せにできるという力もあります。わたしはこれから学校のリーダーになり、来年も運営委員となってみんなを引っ張っていきたいと思っています。わたしたちの牧之原小学校のみんなが、温かい言葉を意識できるように、その第一歩として、5年生の今のわたしは、言葉を大切にしたいです。