こんな日記と出会ったことがあります。
わたしは、三年生の時、発表するのが大の苦手でした。みんなは手をあげてもわたしはあげない方でした。自分でも「なんとかしなきゃだめだぁー。」とは思ってはいたけれど、やっぱりどうしても手が挙がらない。そんな時、4年生になって、勇気が出せたのです。なぜ出せたのかというと、3年生の時よりももっと元気になった友だちの発表を見たから。そこから、わたしのちっぽけな勇気は生まれたのです。
自分はなんのために生きているのだろう。考えたことはありますか。子どもたちはありますか。若いときは、「人生、楽しむために生きている。」と答えていたかもしれません。たった一度だけの人生ですから、そんな考え方もありだと思います。だって、生きているからには、人生が楽しくないと。
結婚して家族ができて、子どもができて家族が増えた時、新しい考え方になった気がします。奥さんのために生きている。子どものために生きている。そんな考えもするようになりました。もしも自分がいなくなったら、悲しむ家族がいる。だったら、いつまでも元気でいたい。命を大事にしたいと考えるようになりました。
それだけじゃなく、学校にいると、学校の子どもたちのために生きていると感じることもあるんです。さやかさんのために、かいと君のために、みずき君のために、りょう君のために、自分は生きているんだと。他の先生ではだめで、自分だからできることがあるんだと感じることがあるんです。自分は役立っていると感じられる瞬間があり、それが生き甲斐になっています。
その逆を感じることがあります。子どもたちから元気や勇気をもらって、自分もがんばらないととおもうことがたくさんあります。目の前の子どもたちも、わたしのために生きてくれてるんだなぁ。
わたしは、周りにいる人たちのために生きています。周りの人たちが、わたしを必要としています。必要とされていない人なんていません。
ねじを作る仕事をしている人がいます。毎日毎日ねじを作るのは大変なことですが、そのねじがないと困る人がたくさんいます。ねじがないと、生活できない人もいます。ねじを作ることは自分が生活していくためだけに作るのではなく、周りの人のためになっています。どんな仕事もそうです。だれかの役に立っていない仕事なんてありません。
紹介した日記を書いた子は、発表が苦手でした。それは、当時担任していたわたしもよく分かりました。4月は手をあげるのもどきどきしていて、そのどきどきが伝わってきたし、言いたくても言えないという姿を何度も見ました。でも、ある日突然変わるのです。何があったのかはこの日記で知りました。ちっぽけな勇気は、友だちからもらったものです。
実はここ数日、園芸の仕事に大変そうなわたしを助けてくれる子どもたちがいます。遊びたいのに我慢して、いっしょに土まみれになってくれるんです。そんな子どもたちに、どれだけ救われているか。本当にうれしくて、心から「ありがとう」って思っています。
目の前の人のために生きる。目の前の人を幸せな気持ちにするために生きる。そんな気持ちを子どもたちと大切にしていきたいなぁと、赤紫のなでしこを植えながら、思いました。

今日の花ボランティアさん、ありがとう。