大学生時代にボランティアサークルで活動していました。そのとき、小学4年生のAと出会いました。事情により、家族と一緒に暮らすことができないという子どもたちが生活している施設で出会いました。わたしはそこでボランティアをしていたんです。
週に1回、その施設に出向いて、話し相手になったり、勉強を教えたりしていました。わたしはAの担当になったんです。
Aからある日こんなことを言われました。
「お兄さんは、将来、学校の先生になるんでしょ。」
わたしは、
「うんそうだよ。小学校の先生になりたいんだ。」
と言いました。とはいえ、胸を張って言えることではありません。その頃は遊んでばかりで、夢を叶えるための努力を何一つしていなかったので、Aに言いながらも、少し恥ずかしくなりました。Aは、こう返してきました。
「わたしも小学校の先生になりたいな。」
その言葉を聞いて、わたしは、
「お互いにがんばって、先生になろうね。」
と言いました。すると、Aは、急に暗い顔になったんです。「先生になりたい。」と言ってたさっきまでの明るい顔はあっという間に消えて、その後、心に突き刺さる言葉を言ったんです。
「だめなんだ。いくらなりたくてもなれないよ。だって中学を卒業したら、働かないといけないんだよ。高校に行きたくても、だれもお金を出してくれないもん。高校に行けないと先生になりたくても、なれないんでしょ。だから、夢にもならないの。」
「夢にもならない。」なんて、とても小学生の言葉とは思えませんでした。自由に夢をみることが特権なのが子ども時代なのに、もう自分の夢は絶対にありえないとあきらめていました。その言葉が、いいかげんな毎日を過ごしてるわたしの心に突き刺さりました。悲しい気持ちになりました。その後、Aになんて声を掛ければいいのか分からなくて、だまっていました。「夢は叶うよ。」と言えればよかったのかもしれないけど、そんな無責任なこと言えないと思いました。だって、Aが進学していくお金を出してくれる人は、確かに誰もいないかもしれません。もしもAを助けてくれる人がいたら、Aは夢としてしっかりもてるんだろうけど、そんな人はいないのです。がんばれば夢を叶えることができるという恵まれた環境の中にいながら、なんの努力もしないで「夢は小学校の先生」とずうずうしいことを言っていたことが恥ずかしくなりました。
でも、今なら4年生のAに、「夢は叶う。」って言えます。そう思えるのも、夢にむかってがんばる、すばらしい子どもたちと、毎年毎年出会ってきたからです。叶わない夢なんて何もないと、毎年毎年子どもたちから教えてもらっています。
今日も、2年生の子どもたちから教えてもらいました。
「どんまいパワーで300回」という夢をもち、見事やり遂げたではありませんか。それも、記録は丁度300回です。最初はとても無理なんて思っていた300回でしたが、見事かなえることができました。
牧小の子どもたちは夢をもってがんばる子だらけです。がんばれがんばれって言い過ぎない方がいいと言われることもありますが、牧小の子どもたちを見ていると、やっぱりがんばるって大切なことなんだと思えます。
約20年前のあの時、Aさんにはっきりと言ってあげたかったです。
「Aさん、無理なんてないよ。がんばれば、なれるって。あきらめなければ、先生になれるよ。」
そんなことを言ってあげたかったです。
Aさんの話には、続きがあります。4年生のあの時、Aさんは「無理。」と言ってたんだけど、心の中では少しもあきらめてはいなかったんです。
数年前の国語の研修会で、わたしは駐車場係をしていました。その時、なんとAさんが現れるのです。私は顔を見てもすぐには分からなかったのですが、Aさんから気づいてくれました。
中学を卒業すると、昼間は働き、夜に高校に行くようになりました。学費は自分で稼ぎながら、自分の力で高校を卒業しました。高校生活が終わってから、今度は大学に行くためのお金を貯めるために働きました。3年間かかったそうです。節制をして、3年間働いて、ようやくお金が貯まると、大学受験に挑戦しました。Aさんは見事大学生になり、その後、自分の夢を叶えたのです。すばらしい生き方です。
2年生のみなさん。なわに入れなかったやまとさん。夢が叶いましたね。あきらめなくてよかったね。300回達成、おめでとう。榛葉先生とみんなとがんばってやり遂げた思い出、大切にしてね。