2年のるいさんの詩が、2年生のお部屋で紹介されています。その詩がとても好きです。
じゅぎょう るいさん
国語の勉強 はっぴょうしたいな
でも 勇気がまだ 足りないな
答えが合ってたら 言えるのにな
先生が 名前をよんでくれるかな
いつかぜったいに
発表するよ
大きな声で
「はいっ。」
みなさんは、この詩を読んでどんなことを感じますか。「分かる、分かる。」と、るいさんの気持ちに共感する子、理解してあげられる人は多いのではないでしょうか。わたしも、るいさんのような気持ち、よく分かります。
「あのときもう少し勇気があれば・・。」なんてこと、誰にでも経験はあると思います。私はちっぽけな勇気もなかったようなどちらかというと情けない少年でしたから、あとからふり返って、「あのとき勇気を出していれば・・。」という後悔の体験がたくさんあります。クラスにみんなから仲間はずれになっている子がいて、私は仲間はずれや人をばかにするようなことだけはきらいでしたから、自分はそんないけないことには加わらないにしても、それをなくすための勇気はありませんでした。みんなに対して「やめようよ。」という気持ちはあっても、言葉に出す勇気はありません。そのことは、今になってもずっと後悔していくのです。ちっぽけでもいいから、あの時勇気を出して「やめようよ。」と言いたかった。
勇気を出すことは大変だとずっと思ってきました。勇気がない性格はなおらないのではとも思っていました。でも、昨年の運動会で、声が出なくて苦労していた子に対して、Aさん(今は中学1年生)が、こんなことを口にしたんです。
「勇気がほしいのは最初だけだよ。」
みんなの前で大きな声を出すことに躊躇していた子は、その言葉に背中をおされて、思い切って声を出して、応援団としての役を果たしました。それどころか、勇気をちょっとずつ出し続けたことで、最後は堂々としていました。「そうか。勇気って使えば使うほど、増えていくものなんだ。」と、その子を見て思いました。
勇気とは、いくら使っても減ることはなく、逆に使えば使うだけ心の中で増えていくものなんです。
最初は手を挙げる勇気がないのに、ちっぽけな勇気をふりしぼるうちにだんだん発表が平気になっていく。そんな子どもの成長に気づいたとき、わたしたちはうれしくてうれしくて。るいさんも今、勇気という名の水を心の中に少しずつ少しずつためているところで、心の中に勇気の水がたまったときには、発表なんかへっちゃらになっているんです。その日が来るのが、たのしみですね。