2012/11/12 | こんな先生にみんなでなりたい |  | by:牧之原小教務 |
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保護者の皆さんは、子どもの頃、学ぶことが好きでしたか。「嫌いだったなぁ。」と答える人が多いのではないでしょうか。わたしも実はそんな一人で、勉強なんて、楽しくなかった、勉強は面倒くさくて苦しいものだった、そんなふり返り方をしてしまいます。
「勉強がいやだなぁ。」と思い始めたのは、中学生の時です。分からないことが増えていって、その分からないがいつまでも解決できなかったから。分からないことが重なって、分からないことがどんどん増えていく気がしたから。とにかく、「なぜ」が解決されず、すっきりしなかった毎日を送ることで、わたしは学ぶ意欲をなくしていきました。
でも、中学1年生の、オツペルと象の授業ははっきり覚えているのです。問題は、「オッペルは、どこで象を殺してしまおうと思ったか。」でした。それを考えたとき、私と、もう一人の女の子だけが同じ意見で、他の全員は私たち二人とちがう考えだったんです。そして、孤独な二人とクラスのみんなが戦いをして、最後はみんなを説得できたという授業でした。考えを話すことが楽しくて、みんなを納得させるような考えを作っていくことが楽しくて、楽しくて楽しくてたまらなかったあの授業を今でも覚えているんです。しかし、その後、その授業を超えるようなわくわくと出会うことはできず、だんだんと、学ぶことが嫌いになっていきました。
当時の先生方が悪いというわけではありません。私の学ぶ態度も、いけなかったと思います。でも、学びたいという意欲が、先生の出す問題、先生の問題の出し方で大きく変わるとわたしは中学生の時からずっと思っています。「こんなふうに、問題を出してくれたら、もっと楽しく、わくわくするのになぁ。」そんな生意気なことを考えていた記憶もあります。
また、もっと自分の「分からない。」に手をさしのべてくれたらと思うこともあったのです。「ぼくの分からないに、先生、気づいてくれよ。」と思っていました。当時は思春期で、分からないことがみんなに知られるということにも抵抗があったりして、自分から先生のところに行くなんてこと、なかなかできなくて。それをしない自分も悪いんだけど、「先生だって、気づいてくれてもいいだろ。」という怒りもあったのは確かです。
学ぶことが好きになるかどうかの大きな役割を担っているのが、学校の先生であることは間違いないのです。先生しだいで、子どもは学ぶことが楽しいと感じられる人になります。私は、子どもたちに、あの「オツペルと象」で味わった学びのわくわくを味わわせたいと思っています。また、学びの迷子になっている子のSOSを見逃さない先生になりたいと思っています。
牧小の先生方みんなと、そんな先生を目ざしています。