勇気はたまるもの
今から5年前、牧小の2年生だった子が、こんな詩を書きました。
じゅぎょう るいさん
国語の勉強 はっぴょうしたいな
でも ゆうきがまだ 足りないな
答えが合ってるなら 言えるのにな
先生が 名前をよんでくれるかな
いつかぜったいに 発表するよ
大きな声で
「はいっ。」
「あのときもう少し勇気があれば・・。」なんてこと、誰にでも経験はあると思います。子ども時代の私はちっぽけな勇気もなかったような、どちらかというと情けない少年でしたから、あとからふり返って、「あのとき勇気を出していれば・・。」という後悔の体験がたくさんあります。
クラスにみんなから仲間はずれになっている子がいて、私は仲間はずれや人をばかにするようなことだけはきらいでしたから、自分はそんないけないことには加わらないにしても、それをなくすための勇気はありませんでした。みんなに対して「やめようよ。」という気持ちはあっても、言葉に出す勇気はありません。そのことは、今になってもずっと後悔していくのです。ちっぽけでもいいから、あの時勇気を出して「やめようよ。」と言いたかった。
勇気を出すって大変だと思います。勇気がないという性格は、なかなかなおるものではありません。でも、牧小の子供たちを見ていると、勇気はだんだんたまっていくものなのだということを感じます。
来週、夏休みを迎える会があります。その中で、「校長先生のお話」があるので、短い時間ですが子供たちに向けて話をします。その中で、6年生の子供たちと歌を歌いたいと思っています。6先生の子供たちには、「全校のみんなの前で、歌を歌う勇気がある人は、校長先生と一緒に歌ってください。」と投げかけをしたら、6年生の10人ぐらいが、勇気を出して、「歌う。」と決心してくれました。
最初は数名が手を上げるだけだったようですが、1人、また1人と、手が上がってきました。
勇気とは、いくら使っても減ることはなく、逆に使えば使うだけ心の中で増えていくもの。
最初は手を挙げる勇気がないのに、ちっぽけな勇気をふりしぼるうちにだんだん平気になっていく。そんな子どもの成長に気づいたとき、わたしたちはうれしくてたまらなくなります。
7月26日、6年生の勇気がはじけます。
わくわく。
6年生の勇気を見て、全校のみんなのこころにも、勇気の芽がぽっと顔を出します。
そんな勇気がためされる「夏休みを迎える会」です。