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2021/02/10

どう生きるかを考えた入院生活

| by:校長
 ~島田市民病院3216号室のおじいさん達~
 卒業文集の下書きを読ませてもらいました。数名の子が、修学旅行の中で「生きる」ことについて考えたという文章があり、感動しました。鹿児島に修学旅行に行って良かったと心から思えました。
 7年前、わたしはこの牧之原小学校で、6年生の担任をした際に、無理をしすぎて、治る怪我も治らないくらい体力が落ちて、手術と入院のために卒業前の大事な1ヶ月間、学校を離れました。ちょうど、卒業式に向かって「旅立ちの日に」「COSMOS」などの練習をしなくてはいけない2月でした。
 入院した島田市民病院の3216号室で、もんもんとしていました。学校に行きたくてたまらない毎日は、辛かったです。
 同じ病室で親しくなったおじいちゃんたちのお話です。みなさん脳梗塞という病気です。体のどこかに麻痺があったり、歩くことも困難です。わたしが本来入院するところは、ベットの余りがなくて、わたしはこの脳梗塞の部屋に入院したわけです。
 わたしの隣で寝ていたのは、80才を超えているおじいちゃん。お茶の仕事中、脳梗塞になり、運ばれてきました。右手が麻痺していて、動かないようでした。でも、その右手で茶の葉を摘むんだと、リハビリをしていました。リハビリは、都道府県のパズル。お孫さんがおじいちゃんのためにと持ってきてくれたものです。そのパズルのピースを、言うことを聞かない右手で、一日中はめていました。
 その隣のおじいちゃんは、看護師さんの言うことを聞かない人です。歩けないのに、一人で勝手にトイレに行こうとします。当然、トイレにたどり着くことなんてできません。途中でしゃがみ込んでしまうのです。看護師さんが跳んできて、「自分で行かないでって言ったでしょ。行きたかったら、ボタンを押して。」って怒られます。怒られた後、ベットにもどりずっとぶつぶつつぶやいています。おじいちゃんは、なんとかそれを成功させようと、看護師さんが少なくなった夜中に挑戦します。ですが、成功はしません。廊下で座り込んでいるところを現行犯で見つかり、帰りは車いすに乗せられ、帰ってきます。気持ちは分かります。きっと看護師さんに迷惑かけたくないと思っているんです。
 その前が、比較的元気なおじいちゃん。歩くことも、トイレまでは許されています。そのおじいちゃんは魚屋さん。いつものように、魚をさばこうと包丁を持ったら、包丁がいつもより重く感じたそうです。重たい包丁を握りしめた時、突然「どかーん。」と岩が後頭部に当たったような感じがして、気づいたら病院だったそうです。動ける方なので、みんなが食べ終わった食事のお盆を、代わりに全部片づけてくれてました。自分も病気なのに、人の役に立ちたいという気持ちであふれていました。わたしも動ける一人なので、そのおじいちゃんのお手伝いをしていました。
 正面のおじいちゃんは、まったく動けません。無口な方でした。ずっと本を読んでいました。わたしも、本をかしてもらいました。そのおじいちゃんは、「ぼくは、糖尿病があって、目があまり見えないんだ。」と言ってました。確かに、1ページ読み終わるのがとても遅いのですが、それでもずっと本を読み続けていました。「今のうちに、本を読んでおきたいんだ。」とおっしゃっていました。いずれ目が見えなくなることを覚悟しているようでした。
 一番遠くのベットのおじいちゃんは、ある日、突然、夜中に入院してきました。前日まで、元気に働いていたそうです。夜中にトイレにいったら、突然気持ち悪くなって倒れました。入院してからも、ずっと家族の心配をしていました。家族の方が面会に来ると、「大丈夫か~。」とそればかり言います。家族のみんなは、「それはこっちの台詞だよ。」と突っ込んでいました。夜中には、寝言で何度も奥さんと思われる女性の名前をさけんでいました。「みさえ」だったと思います。夢の中でも、奥さんの心配をしているのかなと思いました。そのおじいちゃんが、その名前を叫ぶと、同室のおじいちゃんが「大丈夫よーっ。」って返事をしてあげてました。すると、安心して、またいびきをかいていました。でも夜中のことですから、みんな熟睡して「大丈夫よー。」の声がない時もあります。わたしも気づいたときは、「大丈夫よー。」って言ってました。後半になると、ほぼ全員で、「大丈夫よー。」って言ってました。
 この部屋から、一番最初に退院したのは、わたしでした。退院して、ようやく教室に戻ってきたとき、自分自身が入院前とは違っている気がしました。

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