研修会に参加し、他校の校長先生から、こんなお話を聞きました。
ある先生が、新学期になっても、ロッカーに「名前シール」を貼らなかったそうです。下駄箱にも貼りません。掲示物もつくりません。ほとんど何もない状態から、スタートしたんだそうです。子供たちからはこんな声が出ました。
「先生、ロッカーに名前のシールがないよー。」
「カバンをどこに入れたらいいか分かりません。」
そしたら、その先生、こう言ったんですって。
「そうかー。じゃあ、どうしたいですか。」
すると子供たち、こう答えます。
「名前シールをはりたーい。」
先生はこう言って終わりです。
「いいアイデアだね。シールはあるし、ペンもあるし、テプラもあるし、説明書もあるし、つくってみたらいいんじゃないの。」
そのクラスでは、1ヶ月たってもゴミ箱のゴミが捨てられなかったそうです。
このやりとりの中に、わたしたち先生がやるべきことがあると思ったんです。
子供たちが困ったら、不都合を感じたら、自分たちでつくっていくしかないんです。自分たちでやれることは、自分たちでやる。困ったら、友達同士でサポートし合う。試行錯誤しながら、自分たちで動いてつくっていくんです。
掲示物は先生が便利できれいなのをつくってくれる。教室の飾り付けは、季節ごと先生が夜なべをしてつくってくれる。給食当番表も、美しく先生がつくってくれた。そうやって、「先生ばかりが主体性」を発揮しているというのは違っていると。
先生が一生懸命やりすぎてしまうことで、子供たちはこんな学びをしてしまいます。
「自分がやらなくても、自分の身の周りは自動的に整っていくんだな」
「自分を居心地よくしてくれるのが先生の仕事なんだな」
「困ったら、先生に任せとけばだいたいのことはオッケー」
これって、本当にいいことで、これって本当にいい先生なんでしょうか。
これらはすべて、保護者の皆様にも当てはまることです。
「靴なんてそろえなくても、お母さんがやってくれる。」
「着替えは全部、用意してくれる。」
「片付けしなくても、次の日起きたら、みんなきれいになってる。」
これで子供たちの何か育っていくんでしょうか。
不都合なこと、うまくいかないことに対して、何でもやってあげる先生、親になってはいけなくて、どうしたらいいんだろうを考えさせることで、子供は主体的になっていくと思いました。